こんにちは、ぐるりです。
ぐるりのお気に入りの本を、植物重視で深掘りしつつ紹介します。
今回は、朝井まかてさんの『先生のお庭番』です。
はじめに
ネタバレないよう気をつけていますが、真っ白な状態で読みたいという方はご遠慮ください。
植物好きのぐるりが、朝井まかてさんの『先生のお庭番』を深掘りしていきます。
今回は、日本の植物に魅せられたシーボルトを中心に、その庭師の熊吉(こまき)や、物語の舞台である長崎出島についてまとめました。
こんな人にオススメ
「植物がテーマの小説が読みたい!」
「『先生のお庭番』を読む前知識として、物語と史実とを絡めて知りたい!」
「『先生のお庭番』は一度読んだけれど、もっと深掘りして読んでみたい!」
『先生のお庭番』の先生とは?
『先生のお庭番』のタイトルにある「先生」とは、鎖国をしていた江戸時代に来日した医師シーボルトのことです。
「シーボルト事件」という言葉の方がピンとくる人も多いかもしれません。
この物語では、シーボルトが日本の植物に魅せられ植物を収集し、シーボルト事件で日本を追放されるまでが中心となります。
そして「お庭番」として雇われた少年 熊吉(こまき)の目線で物語は進みます。
朝井まかてさんについて
1959年生まれ。大阪出身。
2008年小説現代長編新人賞奨励賞を受賞し『実さえ花さえ』でデビュー。
時代小説を中心に活躍し、植物や園芸をテーマに書かれた作品も多数あります。
近年では、『NHK趣味の園芸』にも出演され、江戸園芸を紹介されています。
受賞作品と長編小説を主にまとめてみました。
2008年 『実さえ花さえ』で小説現代長編新人賞奨励賞を受賞しデビュー。
『花競べ 向嶋なずな屋繁盛記』のタイトルで出版。
2010年 『ちゃんちゃら』
2012年 『先生のお庭番』『ぬけまいる』
2014年 『恋歌』で直木賞受賞。『阿蘭陀西鶴』で織田作之助賞。
『御松茸(おまったけ)騒動』
2015年 『すかたん』で大阪ほんま本大賞。『藪医ふらここ堂』
2016年 『眩(くらら)』で中山義秀文学賞。『最悪の将軍』『残り者』『落陽』
2017年 『福袋』で舟橋聖一文学賞。『銀の猫』
2018年 『雲上雲下』
2019年 『悪玉伝』で司馬遼太郎賞、大阪文化賞。『落花狼藉』
2020年 『グッドバイ』で親鸞賞受賞。『輪舞曲(ロンド)』『類』
2021年 『白光』
『先生のお庭番』の簡単なあらすじ
舞台は長崎。庭師見習いの熊吉は、出島にあるオランダ商館の医師しぼるとに使えることとなった。日本の四季の美しさに魅せられたしぼると先生は、熊吉に薬草園を作るように命じ、熊吉は試行錯誤を重ねながら出島に薬草園をつくることとなる。そして、阿蘭陀へ日本の植物を送るために工夫を凝らす日々を送る中、思わぬ事件に巻き込まれていく・・・。しぼると先生の薬草園を守った、心から植物を愛するお庭番の職人ストーリー。
『先生のお庭番』の登場人物
- 熊吉(コマキ) しぼると先生の薬草園のお庭番。
- しぼると先生 出島に住むオランダ人の医者。
- 奥方(オタクサ) しぼると先生の日本人妻。
- 佐平次 植木商京屋の職人頭。
- もるへん 京屋近辺に住みついた白猫。
- 伝右衛門 京屋の当主、染の婿。
- 助太郎 京屋の跡取り、熊吉と同い年。
- 以蔵 京屋で働く、熊吉の兄弟子。
- 五郎助 京屋で働く、熊吉の兄弟子。
- 定助 京屋で働く、熊吉の兄弟子。
- 平太 京屋で働く、熊吉の兄弟子。
- 染 京屋の一人娘、伝右衛門の妻。
- きぬ 熊吉の母。
- おるそん しぼると先生の使用人。
- 吉岡正之進(ショウ) しぼると先生の通詞(通訳)。
- 吉岡忠次郎 吉岡正之進の弟、見習い通詞。
- 高良斎(こうりょうさい) 阿波出身、本草学と蘭方を学ぶ。
- 二宮敬作 宇和島出身、蘭学と医学を学ぶ。
- 岡研介(けんかい) 鳴滝塾の塾頭、蘭方医。
- 高野長英 日本でトップの蘭方医。
- 以祢(いね) しぼると先生の娘。
- 親方 紙漉き職人。
- 高橋景保(かげやす) 幕府天文御書物奉行(江戸幕府の職名の一つ)。
- 乙名 長崎の町役人。
- 四郎兵衛(しろべえ) 植木商若狭屋としての名前を継いだ熊吉。
- さな 四郎兵衛の娘、17歳。
- 清吉 さなの婿。
『先生のお庭番』の読みどころ
『先生のお庭番』の登場人物は、歴史上の出来事や実在の人物も多く登場します。
その中でも、しぼると先生と熊吉(こまき)の魅力に迫って紹介します。
シーボルトについて
シーボルトは、鎖国をしていた江戸時代に医者として来日した、実在の人物です。
日本人に医学を教える場として、鳴滝塾(なるたきじゅく)を開きました。
医者としての活動だけでなく、植物や動物の調査など日本の研究もおこなっていました。
その後、シーボルトが禁止されているものを国外へ持ち出そうとしたということで「シーボルト事件」がおきます。
オランダへ帰国後は、日本を世界へ紹介すべく日本に関する書籍を出版しました。
※この記事では、『先生のお庭番』に登場するしぼると先生はひらがな表記、実在の人物のシーボルトはカタカナ表記と区別します。
日本に関連した部分を重点的にシーボルトの年表をまとめてみました。
1796年 | 寛政8年 | 0歳 | 生誕 |
1820年 | 文政3年 | 24歳 | 大学卒業後開業医となる |
1822年 | 文政5年 | 26歳 | オランダで東インド陸軍医に任命 |
1823年 | 文政6年 | 27歳 | オランダ商館医に任命 |
シーボルト来日 | |||
タキと出会う | |||
1824年 | 文政7年 | 28歳 | 鳴滝塾を開設 |
1826年 | 文政9年 | 30歳 | 江戸参府(滞在中に日本地図を入手 ) |
1827年 | 文政10年 | 31歳 | イネが生まれる |
1828年 | 文政11年 | 32歳 | シーボルト事件 |
1829年 | 文政12年 | 33歳 | 国外追放、オランダへ |
1832年 | 天保3年 | 36歳 | 『Nippon』出版 |
1833年 | 天保4年 | 37歳 | 『日本動物誌』出版 |
1835年 | 天保6年 | 39歳 | 『日本植物誌』出版 |
1857年 | 安政4年 | 61歳 | 追放令解除 |
1859年 | 安政6年 | 63歳 | 約30年ぶりに来日 |
1862年 | 文久2年 | 66歳 | 帰国 |
1866年 | 慶応2年 | 70歳 | ドイツのミュンヘンで死去 |
シーボルトは27歳のときに日本へやって来ます。(若い・・・)
そして、日本に滞在していたのは6年間。
シーボルト事件のことを考えると、自由に動くことができたのは4年ほどでしょうか。
この期間を中心に、朝井まかてさんの『先生のお庭番』では描かれています。
シーボルトが日本からオランダヘ持ち帰り、特に有名になった植物といえば「アジサイ(紫陽花)」があります。
シーボルトが39歳のときに出版した『フローラ・ヤポニカ(日本植物誌)』には、シーボルトの妻の名前にちなみ「Hydrangea otaksa(ハイドランジア オタクサ)」という学名でアジサイが紹介されています。
『先生のお庭番』の中でも、しぼると先生がアジサイ(紫陽花)を愛でる場面がとても印象的でした。
残念ながら、シーボルトが命名する前にアジサイ(紫陽花)の学名はすでに決まっており、オタクサの名前では残りませんでした。
植物に愛する人の名前をつけるなんて・・・シーボルトってとてもロマンチックな人だったんだなぁ。
シーボルトがヨーロッパに持ち帰った植物は、アジサイ(紫陽花)の他にも、カノコユリ(鹿の子百合)、ギボウシ(擬宝珠)、レンギョウ(連翹)、ツバキ(椿)、サザンカ(山茶花)などがあります。
『先生のお庭番』の中にも特に登場のシーンが多くあり、シーボルトの植物愛さながら、作者朝井まかてさんの植物愛を強く感じました!
熊吉(こまき)について
『先生とお庭番』の主人公、熊吉(こまき)も実在の人物です。
出島蘭館日雇としてシーボルトに仕えていました。
実際の熊吉(こまき)も植物採採取の調査などに加わりシーボルトの手助けをしていたとされています。
シーボルトの江戸参府にも同行し、身の回りの世話をはじめ、日本の動植物の材料などを収集していたそうです。
オランダの国立植物標本館には、熊吉の名前で記載された標本が20点ほどあるそうです。
いつの日か、オランダで本物の熊吉の標本を見てみたいですね・・・。
実物の熊吉(こまき)については、肖像画も残されています!
キリッとした表情の中にも幼さが残り、14~15歳と言われています。今でいうと中学3年生くらいですね。
熊吉(こまき)の肖像画は、シーボルトが36歳のときに出版した『Nippon』に載っています。
福岡県立図書館のデジタルライブラリでは、シーボルトが出版した『Nippon』『日本動物誌』『日本植物誌』をパソコンで閲覧することができます!
デジタルでも見ることができるなんて、本当にありがたい限りです!
肖像画の熊吉(こまき)は黒の羽織なのですが、黒の羽織は出島に入る際の正装だったようです。
実際の熊吉(こまき)の顔はこちらよりチェックしてみてくださいね。
シーボルト『NIPPON』 図版編 こまき
ちなみに・・・
奥方(オタクサ)やおるそんの肖像画もあるので、気になる方は探してみてくださいね!
肖像画の他にも、当日の様子が細かく描かれており、写真集のように眺めるだけでも十分に楽しめます。『先生とお庭番』の時代背景にも繋がってくるところもありますよ。
実際の熊吉(こまき)と、『先生とお庭番』の熊吉(こまき)とは、リンクしていることが本当にたくさんあります!調べれば調べるほど、熊吉(こまき)そのものと思えてきたほど。
朝井まかてさんが『先生とお庭番』の作品を書くにあたり、熊吉(こまき)についてとても細かく研究されたことが分かり胸が熱くなりました・・・!
舞台は長崎の出島
しぼると先生と熊吉(こまき)が過ごした長崎の出島について調べてみました。
長崎の出島は、江戸幕府の対外政策の一つとして、海を埋め立ててつくられた日本初の人工島です。
島は扇の形をしており、面積は3,969坪(約1.5ヘクタール)あります。
実際に出島へ行ったことがありますが、ずいぶん小さく感じました。
個人的な感想ですが、ざっと見てまわるのであれば1時間ほどで十分なくらいです。
ただし、『先生のお庭番』を読んだ後に行くと、1時間では足りませんのでご注意を!!!
貿易を目的とするオランダ商館が出島に来ることで、日本で唯一ヨーロッパに開かれた場として栄えました。
そのオランダ商館の医師として、シーボルトは出島に来日します。
そして、出島に本当にあったシーボルトの薬草園は、出島の1/15~1/20前後(面積にして約200~300坪程度)の大きさと言われています。
出島自体がさほど大きくないので、小さな薬草園だったと思われます。
そして、出島は埋め立ての島ですので、シーボルトの薬草園は海のすぐそばにあります。
海岸性の植物でなければ、植物は海水や潮風に弱いものがほとんどです。薬草園の場所としては適していないように思いました。
潮風などの塩害を考えると、植物の日常的な手入れに加え特別な対策が必要になります。
シーボルトが作った鳴滝塾は、海から少し離れ山手にあるので、正直なところ鳴滝塾の場所の方が植物の栽培には良かったのでは、と思ってしまいました。
『先生のお庭番』の中では描かれていませんが、塩害対策の管理は非常に大変だったはずです。
塩害対策をとりながらたくさんの植物を薬草園で育て、オランダへその植物を送る準備をすることを考えても、熊吉(こまき)は本当に有能で優秀な人物だったんですね!
歴史情緒あふれる長崎を舞台に『先生のお庭番』は描かれています。
すごーーーーーーく長崎に行きたくなる!!!!
出島
長崎を訪れるときにはシーボルトと熊吉(こまき)が過ごした「出島」へ!
復元された建物が並び、異国の雰囲気が漂います。
シーボルト記念館
鳴滝塾跡に隣接して建つ、長崎の「シーボルト記念館」もお忘れなく!
いねさんの写真や、ヨーロッパのご子息の紹介などもありますよ。
おわりに
医者として来日したシーボルトが、日本の植物をヨーロッパに持ち帰っていただなんて・・・!
出島に植物園を作り、そこには日本人の庭師がいただなんて・・・!
熊吉(こまき)が実在の人物だったなんて・・・!
驚きの連続です。でも、一番驚いたことは、朝井まかてさんの植物愛と研究熱。
『先生のお庭番』とは、そんな朝井まかてさんのものすごい熱量がつまった作品です。
参照
植物が登場するおすすめ小説
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