今回は河合隼雄の『ケルトを巡る旅 神話と伝説の地』を紹介します。
私が初めて河合隼雄を知ったのは、村上春樹との対談本『村上春樹、河合隼雄に会いにいく』がきっかけでした。村上春樹の小説が好きで、当時すでに出ていた小説を一通り読み終えた後、エッセイなどを読み始めた頃にこの対談本に出会いました。
この本を読んだときに、学者のような科学的で理路整然とした話し方とは全然違っていて、面白い考え方をする人だなという印象を受けたのを覚えています。
私は前からケルトの装飾にも興味があって、特に日本の唐草模様に似た渦巻き状の有機的なデザインが好きでした。そのケルトについて河合隼雄が書いているというので、面白い組み合わせだな、と思って今回読んでみました。
本の中で個人的におもしろいと思ったところを切り取って紹介していきます。
どんな本?
実際に読んでみると、この『ケルトを巡る旅』はケルトの文化や歴史や神話を考古学的に考察するような本ではなくて、ケルト文化が現在のアイルランドでどのように人々に受け入れられているのか、というのを河合隼雄がその足で訪ね歩いていく、といった旅行記のような内容になっています。
ただ、読み進めるていくと、この本が単純な旅行記ではないということがだんだんとわかってきました。
どうしてそう感じるのかというと、ある一つの問題意識がこの本を通して、ずっと河合隼雄の中にあって、そのヒントをケルトの中に求めているからです。
その問題というのが、ズバリ、私たちの生き方についてです。現代の人というのはずっと漠然とした不安を抱えていて、みんなどのように生きていけばいいのか分からずにいる、というのです。河合隼雄はかつてのケルトの地を旅してその地の人々と話しながら、実はずっとこの問題と対話していたんですね。ここを頭に入れているとこの本はより面白くなるし、わかりやすくなります。
ケルトとは?
「ケルト」とは人種ではなく、ケルト語を話す文化集団のことで、ヨーロッパの一つの文化を指す言葉として使われます。キリスト教以前にユーラシア大陸の西側とイギリスやアイルランドなどの海を隔てた島側で栄えましたが、キリスト教が次第に大きくなるにつれて、ケルト文化は少しずつ失われていきました。ただ、イギリスやアイルランドなどの大陸からは切り離された島の方では、比較的キリスト教の影響が少なかったため現在でもケルト文化が残っています。『ケルトを巡る旅』では、河合隼雄はこのイギリス・アイルランドを訪れています。
ケルトというと神話よりも美術の方が有名かもしれません。渦巻き・組紐・動物などが複雑に組み合わされた装飾美術は独特な美しさを持っています。特に、キリスト教とケルト美術が融合して作られた聖書の装飾写本は有名で、なかでも『ダロウの書』、『ケルズの書』、『リンディスファーンの福音書』はケルト装飾写本芸術の三大傑作とされています。
他にもケルトの文化圏の中には修道院や街中に十字架を円で囲んだ形が特徴的な、石で作られた「ケルト十字架」がたくさん見かけられます。ここにもケルトの複雑な装飾模様が彫り込まれています。
神や天使、悪魔をキリスト教のように人間に近い形で絵として表現するのではなく、模様の中で抽象的に表現するところは、キリスト教よりもイスラム教に近い印象を受けます。
著者はどんな人?
河合隼雄ってどんな人?
河合隼雄は日本人として初めてユング研究所に留学し、ユング派分析家の資格を取得しています。その後、箱庭療法という心理療法を1965年に日本に導入しています。その後、箱庭療法は日本で特に発展し、河合隼雄は第二期の箱庭療法学会の会長も務めています。
※箱庭療法自体はスイスのドラ・カルフが考案しました。治療をする人に砂箱のなかで、いろいろなミニチュアを用いて作品を作ってもらい、その表現活動を通じて自己治癒力をはたらかせて、癒す治療法です。
ユングについて
河合隼雄を紹介する上でカール・グスタフ・ユング(1875-1961)の説明も外せなかったのでざっくりと説明しますね。
ユングの考え方というのは人間の無意識に強く関心を払ったものでした。無意識というのは当たり前ですが自分自身でコントロールできないものです。その身近な例として夢や幻覚があります。夢や幻覚として現れたいろんな人の無意識のイメージを調べていくと、神話にも同じようなイメージが出てくることがわかりました。
夢や幻覚はそれぞれの人が個別に経験するものですが、神話の中に共通したイメージが見られるように、無意識のすごく深いところ(深層心理)では個人を超えて集団や民族、もっと言えば人類で共通点があるんじゃないか、ということをユングは考えました。これを集合的無意識とユングは呼びました。
神話や昔話は無意識を知るために重要な手がかりとなっています。河合隼雄もユングの研究の流れをくんで、古今東西のさまざまな神話に関心を持っています。
ケルトと日本の昔話はよく似ている?
ケルト人はキリスト教以前に存在していた民族で、多様な文化を持っています。ケルトにも昔話があって、河合隼雄はそれが日本の昔話とよく似ているところがある、と言っています。
例えば、アイルランドの昔話「オシン」では、この物語の主人公の青年オシンはある日、不老長寿の国の王女と出会って結婚し、それから王女の国で幸せに暮らします。三年後、オシンは故郷を夢で見たことをきっかけに、故郷にどうしても帰りたくなります。王女は仕方なく、オシンが故郷に帰るために移動用の白い馬を与えますが、決して馬から降りてはいけないと言い含めます。しかしオシンは途中で馬から降りてしまい、その途端にオシンは300歳の老人になってしまいます。
この「オシン」の話は、竜宮城で美女に玉手箱をもらった「浦島太郎」の話に展開がよく似ていますよね。この例と同じように他の物語にも、日本の昔話とよく似たお話がありあます。
日本とアイルランドはともに島国でお互いの距離も離れているので、当時は交流があったとは思えませんが、物語が似ているのは不思議な気がします。
ではなぜ似ているのか?そのポイントは「異界」と「異なるもの」だと河合隼雄は言っています。
「浦島」と「オシン」が似ていたり、同じような話が世界の離れた場所に存在するという事実は、すべての人間の心には「異界」があるということの証しだろう。ツルなのか、カラスなのかといった、それを何に置き換えて言い表すかは、それぞれの文化によって異なるのだが、異界をテーマにしているという点では普遍的と言っていいのではないだろうか。
人間とは自分を超えたものの存在、自分と異なるものの存在を肯定しているからであろう。「異なるもの」は、物語るより仕方がない。物語でしか表現できない。だからどこの国もみな物語を持っているのだ。
これを読んだとき「異界」や「異なるもの」というのが何を指すのかよく分からなかったのですが、自分なりに考えてみると、たぶん「今自分が存在している現実とは違う世界」のことだと思います。つまり「異界」とは「あの世」や「天国」などのことで、「異なるもの」とは「仏」や「幽霊」、「妖精」などのことです。
昔話で言うなら、さきほどの「浦島太郎」だと、海を隔てて現実と「異界」が分かれていて、海底にある竜宮城は「異界」を表しています。
「桃太郎」なら鬼ヶ島が「異界」で主人公である桃太郎自身もおじいさんとおばあさんのお腹を痛めた子どもではなく、川から流れてきた桃から生まれているから、どこかの「異界」から来た存在、ここで言う「異なるもの」なのだと思います。
そういう「異界」や「異なるもの」の存在を、物語を聞く人に伝えるためにいろんなバリエーションで世界各地で物語にしているということなのでしょう。
つまり、伝えたいものの根っこは同じなので、場所や時代が違えど自然と物語がどこか似てくるのだと思います。
私も子どもの頃は「サンタクロース」を信じていましたし、「おばけ」も見えないけれど現実のなかにいるものだと思っていました。そういう「異界」と「異なるもの」を絵本やマンガやテレビなどを通して日常のなかにあるものとして自然と受け入れていたんですよね。でも大人になるにつれて、だんだんとそういうものは信じている方がおかしいと考えるようになっていきました。
日常から切り離された物語たち
たとえば、もういい年齢の大人が「幽霊や妖怪はいる」「サンタクロースは毎年来てる」と言う人がいたとすると、「何を言ってるんだ」とおそらく私たちは思ってしまいます。
こういう「異界」の存在は現代よりも近代以前のほうが自然と受け入れられていたように思います。病気になれば「悪いものが取り憑いた」と考えられていたし、晴れているのに雨が降ると「狐の嫁入り」というように表現し、お盆は「あの世」に行った先祖の霊が帰ってくる、というように日常生活で使う言葉や年中行事のなかにも「異界」が組み込まれていました。今のように、大人になるとスッパリと現実と異界が白黒切り分けられる、ということはなくグレーな世界観だったのだと思います。
かつては信じられていたものが現代では通用しない。こうした価値観の変化がどこから来ているのかというと、西欧由来の理性的な考え方を私たちがするようになったところかではないかと河合隼雄は考えています。
科学では解決できないこともある
西欧の人々がその考え方をするようになった根っこにはキリスト教があると、河合隼雄は言います。
キリスト教の場合、自然を創ったのは「神」という自然の外にある存在なのである。神がいて、人間がいて、自然がある。それらは歴然と区別されているのだ。
もともとキリスト教では天地創造という7日間で神が世界を創ったと言われるように、人間も自然も神が創りました。神と人間と自然が明確に区別されていることがポイントです。
「人間と自然は異なる存在で、人間が自然を客観的に観察・考察する」という自然科学の考え方は、「神がこの世を創りたもうた」という論理とよく似ている。「神と世界」を「人間と自然」に置き換えているのだ。
キリスト教は神・人間・自然の3つを明確に区分し、神と自然のあいだに人間が入ったことで、次第に神の代わりを人間がするようになっていきます。つまり神の代行として人間が自然をコントロールしていこうとしていきます。この考え方の延長上に自然科学が生まれます。
私たちは近代以降、西洋の自然科学によって生まれた文化や技術を取り入れて、その恩恵をたくさん受けてきました。そのおかげで以前よりも生活は豊かなり、健康で永く生きられるようになりましたが、それで今の人生に不安を感じないようになったかというとそうではないですよね。
私自身も「今不安なことはありますか?」と聞かれたら、将来のこと、仕事のこと、お金のこと、もっと個人的なことなど不安はいくつも思い浮かびます。
科学が発達したからといって科学では解決できないことは多くあります。そうした問題に出会ったとき、私たちは不安を感じてしまいます。
たとえば河合隼雄はこの本のなかで科学では解決できないことを次のようにあげています。
「私」の恋人が死んだときに「恋人は何で死んだのか?」と問うと、自然科学は「心臓麻痺です」とか「出血多量です」というように、すぐに答えを出してくれる。しかし、「私」が聞きたいのはそんなことではなく、「なぜ、『私』の恋人が死んだのか」に対する答えなのだ。私の恋人はなぜ私の目の前で死んだのか、とか、何でこんな死に方をしたのか、というときには、「私」に対する答え、つまり自然科学では割り切れない類の答えを欲しているのである。
もしこういう状況になったとき、私たちは誰にでも当てはまるような一般的な説明がほしいわけではありません。よくドラマや漫画などの創作物でもこうしたシーンが描かれることはありますが、それぞれの登場人物たちは単純な死因だけを聞いて納得することはありません。
昔は「死にやすい」社会だった
不安の例としては「自分の死」もわかりやすい例えかもしれません。おそらく私たちのような現代を生きる人々のほとんどは「自分の死」について真剣に考えたとき漠然とした不安を感じるのではないでしょうか。そうした不安を抱える理由は「死」は意識による科学的・合理的なアプローチでは(少なくとも今のところは)解決できないものだからです。つまり、わからないから怖い。
一方、ケルトや近代以前の日本のような欧米社会の影響を受ける以前の人々は自分たちの「死」をどう考えていたのかというと、
今より非合理的なものを入れ込んだ意識を持って生きていた。神様仏様の存在を信じ、死んだらあの世へ行くと思っていた。
当時の人々が科学的かつ合理的な根拠を持って「死」をわかっていたのかというと、そうではないと思います。非合理的な世界観を物語を通して知っていたから、死は行き止まりではなく、むしろ次の世界への入り口という考え方だったのだと思います。その間を繋いでくれる存在として「異なるもの」である「神様仏様」がいました。
ケルトでも装飾でよく見られる渦はアナザーワールドを示していると言われています。ケルト十字に渦が彫り込まれているのも、日本の鳥居のように「異界」への入り口を示しているのかもしれません。
だから、こういう考え方をして当時を生きていた人たちの方が、現代の人々よりも、
生きやすいというか、死にやすい。
と河合隼雄は言っています。
「死にやすい」という視点がおもしろいですよね。「生きやすい」ということはけっこう誰でも考えるんじゃないかな、と思います。いい暮らし、充実した生活、差別のない世界・・・生きやすい世の中というのは個人的で身近なことから理想的な社会の全体像まで幅広く想像しやすいです。生には誰しも実感がありますから。ですが、死にやすい世の中とは?と聞かれるとパッと思いつきません。自分も含めて誰もが安心して自分の最期を迎えられる社会、というのはなかなか想像しにくいですよね。
科学技術が発達する以前の世界では、天国や地獄、極楽浄土のような、あの世の存在を信じていました。だから死んだ後に行くべきところは決まっていたのです。たとえば初めて行く場所でも地図やナビ、ガイド本で目的地を知っていれば安心して行けるように、死んでも次に行く場所が決まっていれば死ぬことに対する不安は小さくなるはずです。
こうした死後の世界をおはなしや神話、伝説、装飾や絵を通して人々はあらかじめ擬似的に体験し、現実と地続きの世界として認識していました。つまり、死は終わりではなく、そこからまだ続きがあることを知っていたし、どんなところであるのかも想像ができていました。だから「死にやすい」のです。
けれど、現代を生きる私たちは今さら科学技術が発達する以前の社会に戻ることはできませんし、あの世や天国の存在を丸ごと信じることも難しい。
このように科学的な価値観に立って問題をすべて解決しようとしてもそれは難しく、私たちの不安は募っていきます。そうした状況に危機感を持った河合隼雄や西洋の人たちは、新しい価値観を模索するためにケルトにヒントを求めました。
現代の私たちが持つべき価値観のあり方
キリスト教文明は、それ以前にあった価値観や宗教などを、ものすごい力で駆逐した。日本人は、仏教にしろ儒教にしろ、近代科学にしろ、本来あったアニミズム的なものを残しつつ、うまく取り入れてきた。それらをどうバランスさせていくかが今後の課題である。そのことをもっともっと意識しなければいけない。これまではその意識が低くとも、うまく回ってきた。しかし、ここまで科学技術が発達したいま、失ったものや排除してきたものを取り戻すには、意識的な努力が必要になる。
アイルランドを中心に、西洋の人たちは当時のケルト文化を見直してもう一度自分たちの生活の中に取り入れようとしています。それは科学技術や合理性をこれまで突き詰めたことで、社会や生活は豊かになっていっても、一人一人をよく見ていくとそれぞれが生きづらさを抱えているという現実がありました。
西洋は科学技術への信頼とかつて自分たちのアイデンティティだったケルトの価値観、二つの異なった考え方を混ぜ合わせることで一度狭くなってしまった視野をもう一度広げようしています。私たちも日本に根ざした価値観をもう一度拾い直して、新しい価値観のあり方を考えてみる必要があるのかもしれません。
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