はじめに
今回は若松英輔さんが書かれた『内村鑑三 悲しみの使徒』を紹介します。
『内村鑑三 悲しみの使徒』は内村鑑三の思想や信仰がどのように深化(しんか)していったのかを内村の生涯を追いながら書いています。特に内村鑑三にとって大きな出来事となった以下の6つの出来事に焦点を当てています。その6つの出来事を本文から引用しておきます。
・1877年、札幌農学校におけるキリスト教との接触は、その始まりとなった
・1891年に起こった「不敬事件」と妻かずの死、そして『基督教徒のなぐさめ』の執筆
・1903年から義戦論を捨て、非戦論、戦争廃止論へと立場を大きく変える
・1918年から始まる再臨運動
・1930年、塚本虎二との訣別、逝去
このブログでは、『内村鑑三 悲しみの使徒』の中で個人的に面白かった部分を、感想と考察を交えながら紹介していきたいと思います。
どんな人におすすめか
内村鑑三の『宗教座談』という本を読んでレビュー記事を書いていた際に、内村鑑三の人物像をもう少し詳しく知りたいな、と思い、『内村鑑三 悲しみの使徒』を読みました。(『宗教座談』のレビュー記事は下に貼っておきます。)
どんな方にオススメできるかをまとめます。
- 内村鑑三の思想や信仰に興味のある人
- 内村鑑三の生涯を知りたい人
- 内村鑑三の人柄や内面など、どんな人物だったのか興味のある人
- 内村鑑三の著書に興味のある人
内村鑑三がどのような人物であったのかを知るために、著者の若松英輔は内村鑑三の周囲にいた人々の証言や著書で内村鑑三に触れた部分を拾い上げながらどんな人物であったかを掘り下げています。
作家の志賀直哉や正宗白鳥、民藝運動で有名な柳宗悦、劇作家の小山内薫など、内村に影響を受けた多彩な人物たちが登場します。そういう人物たちから語られる内村の人物像に興味のある方にもおすすめできます。
内村鑑三の代表的な著作についてもこの本の中で紹介されているので、内村鑑三がその生涯の中でどのような本を書いてきたのかを知りたい方にもオススメです。
悲しみを乗り越えながら深まる内村鑑三の思想と信仰
ではここから『内村鑑三 悲しみの使徒』のレビューに入りますね。
内村鑑三は3度結婚していますが、2番目の妻のかずと娘ルツを亡くしています。特に妻が亡くなった際は内村鑑三にとって、それまでの信仰が大きく揺らぐほどの出来事でした。
そのときの心情について内村鑑三は『基督信徒のなぐさめ』の中に書いており、妻の死について「死というものを知っているつもりだったが愛する妻の死を経験してそれが次元のまったく異なるものであることを身をもって知った」と話しています。
そして内村鑑三は深い悲しみの中に沈むのですが、その苦しみ方はこれまでの生活が壊れてしまうほどでした。
その時の様子を内村鑑三は次のように書いています。
・余は愛するものの失せしより、数月間、祈祷を廃したり
・恨を持って膳に向い、涙を持って寝所に就き、ついに祈らぬ人となるに至れり
内村鑑三 『基督信徒のなぐさめ』
愛する妻を奪われたことを恨みながら食事し、涙を流しながら眠りにつくことを繰り返すうちに内村はこれまで毎日朝晩と欠かしたことのなかった、祈ることさえできなくなってしまいます。そうやって悲しみにくれて毎日を過ごすうちに自分の中で「祈り」というものが大きく変わっていることに内村は気づきます。
この時の気づきについて著者の若松英輔は、妻の死を経て「願い」と「祈り」の根源的な違いを内村鑑三は経験したのだ、と指摘しています。
願いは、自らのおもいを神に届けようとすることであり、祈りは、神の「声」を聴くことであると内村は気が付く。熱心に願えば願うほど、神の声が聴こえにくくなることもある。神の声を聴こうとする者は、まず自らの思いを鎮め、沈黙を招き入れなくてはならない。神はしばしば、無声というもう一つの言葉によって心の奥に直接語りかけてくる。
おそらくこの時の内村鑑三の内面はぐちゃぐちゃになっていたのでしょう。恨みや悲しみや嘆きといった神に訴えかけるような「願い」に近いことはできても、逆にそれらがノイズとなって、神の声を聴こうとする「祈り」はとてもできなかったのだと思います。
ある日、妻を弔うために墓所へ行き、きれいに掃除をして、花をたむけて、祈ろうとしたとき、内村鑑三は不意に神の声を聴きます。
内村鑑三が神の声を聴けたのは、この時にはある程度、自分の気持ちが整理できていたからだと思います。
この場面の神の声が私はこの本のなかでいちばん印象的でした。ここに載せてしまうとずいぶん長くなってしまうので省きますが、気になる方はぜひ本書か『基督信徒のなぐさめ』を読んでみてください。
ここでの神の声は、内村鑑三が悲しみのあまり苦しみ、どうしようもなくなったところからブレイクスルーをした瞬間に私には見えました。神の声だと内村は言いますが、私にはそれは自分の人生全てを信仰に賭ける覚悟と決意が滲みでた文章のように見えました。内村鑑三が「2つのJ」に身を捧げることを決断したのもこの場面なんじゃないかな、と個人的には感じました。
※「2つのJ」__内村鑑三の思想のひとつであり、内村が信仰する「Jesus(イエス・キリスト)」と「Japan(日本)」の2つのことを指す。この2つに献身し、それを欧米に向けて語っていくことを行った。
若い頃には内村鑑三に心酔した作家の正宗白鳥(1879-1962)も『基督信徒のなぐさめ』については内村鑑三の著作のなかで「最も傑(すぐ)れたものではないかと思った」と述べています。文筆家としての内村鑑三は「一生の最後まで、基督信徒の慰めを書き通したようなもの」とまで書いています。
私もまだ読んではいないのですが、おそらく『基督信徒のなぐさめ』は、この本以降の内村鑑三の思想や信仰の原点であり出発点にになっているのだと思います。正宗白鳥にここまで言わせる『基督信徒のなぐさめ』をぜひ私も読みたくなってしまいました。
内村鑑三の非戦論
内村鑑三が生きていた時代はまさに激動の時代で、日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦と日本にとって大きな戦争が続きます。近代日本において内村は非戦論を説いた先駆的人物なのは有名なようです。
私は内村鑑三が非戦論を唱えていたことは知りませんでした。
キリスト教なのだから戦争は反対だろうと思うかもしれませんが、当時はキリスト教国の集まりであるヨーロッパが戦争に明け暮れ、ヨーロッパ内のみならずアフリカやアジアにも侵略している状況でした。
アメリカはアメリカで第一次世界大戦に参戦していくという状況なので、キリスト教=非戦論というのは簡単には結びつかない時代でした。
内村鑑三自身も日清戦争の当初は義戦、つまり正義のための戦争があると考えていました。ところが、いざ日清戦争が始まると、それは正義とかけ離れた、一部の人たちの利益のための戦争でしかないことに気づきます。ここから内村鑑三は一気に非戦論へと舵を切っていきました。『戦争廃止論』の中で内村鑑三は、次のように述べています。
戦争は人を殺すことである。そうして人を殺すことは大悪罪である。そうして大悪罪を犯して、個人も国家も永久に利益を収め得ようはずはない。世には戦争の利益を説くものがある。しかり、余も一時はかかる愚を唱えた者である。しかしながら今に至りてその愚の極なりしを表白する。
内村鑑三 『戦争廃止論』
自分の過去の言動の非を認めた上で、人を殺すことは絶対にいけない、それをする国家が許されるはずはない、というシンプルかつ、わかりやすいメッセージを伝えています。内村鑑三の非戦論はその後さらにキリスト教が深く根ざした非戦論へ変化をしていきますが、この軸は最後までぶれませんでした。
また、内村鑑三は別の文章の中で戦争を念頭に置いた「悪」へ対抗する方法について、「悪」は攻撃と抵抗の連鎖の中で世を滅ぼそうとするから、「悪」と戦うための唯一の道は「無抵抗」しかないと言います。
なぜなら「悪」とは人の領域を越えていて、人間が「善」の力で「悪」を変えようとしてもそれはできないのです。人間が唯一できることは「無抵抗」を貫くことで「悪」を無力化してしまうことだけだと言います。
では、人の力では止められない「悪」(戦争)をいったいどうやって止めるのかというと、それは「神の大能の実現によって止むのである」と結論づけています。
「神の大能」とは「神の力、神の能力」という意味ですが、つまり神の力でも働かなければ戦争や紛争は止められないという、内村鑑三の神への信頼はもちろんですが、同時に人間に対する悲観的な見方と現実を冷静に分析した結果、たどりついた答えのようにも思えました。
内村鑑三の意外な人間性
内村鑑三の思想や信仰は敬虔で、人生の岐路を迎えるたびに深さを増していきましたが、人間関係を踏まえた内村鑑三の性格はどのようなものだったかというと、一言でいうと、このイメージ画像の黄色のダリアの花言葉のように「不安定」さをいつもはらんでいたようです。
内村鑑三の性格が実際にどのようであったかを知るには、内村の周囲にいた人々の文章を読むとよくわかります。内村鑑三の弟子だった藤井武(1888~1930)は内村鑑三の人間の難しさを次のように語っています。
先生は矛盾の多い方、矛盾だらけの方でありました。先生ほど矛盾に富んだ人格を私は知りません。したがって多くの人が先生に躓(つまず)きました。近づく者ほどひどく躓きました。先生に親しんだ者にしてこの経験を有(も)たなかったものが幾人ありますか。私は告白します、先生のために心を掻き割かれて一晩泣いたこともありました。また先生ご自身のために悲しんで祈り明かしたこともありました。ほんとうに大きな躓きの石でありました。私にとってはむしろ不可解でした。
一晩泣くほど苦しめられたら、もうそれで内村鑑三のことを嫌になってもいいんじゃないかな、と私なら思うのですが、藤井武はそうはしないで内村鑑三のために祈るんですよね。内村鑑三が本当に慕われていたことがよくわかる文章だと思います。
藤井武は内村鑑三と何度も衝突して1920年に一度は内村鑑三のもとを去りますが、またその2年後に和解して関係を回復しています。これは藤井武に限った話ではなく、内村鑑三は周囲にいたさまざまな人たちと衝突を繰り返しています。
この本の著者はその繰り返される衝突について、
衝突の機会は、その関係を深化させる時期を告げる合図でもあった
と分析していて、お互い衝突をしながら関係を深めていったと考えています。
特に本書に書かれている、劇作家の小山内薫(1881~1928)は内村鑑三との衝突したことで、結果的にキリスト教を棄教(ききょう)し、内村鑑三のもとを去ってしまいました。このエピソードは内村鑑三に寄り添い続けることの難しさと、思想の違いから別れたとしても互いを想いやっている様子がとても読みごたえがあるので、ぜひこの部分は読んでほしいと思います。
内村鑑三と距離をとった者、去った者、最後までそばにいた者と、それぞれがそれぞれの道を歩んでいきましたが、内村鑑三が1930年に他界したときにはたくさんの追悼文が寄せられたようです。
最後に
今回『内村鑑三 悲しみの使徒』を読んでみて驚いたのは内村鑑三は決して完璧な人間とは言えなかったことです。前回レビューした『宗教座談』を読んだ際の内村鑑三のイメージは敬虔で妥協のない実直さで信仰にひたすら邁進していく隙のないイメージだったのですが、読んでいくごとに弱さや欠点が多い良くも悪くも内村鑑三の人間くささが見えてきました。
最愛の人との死別を経験した際には内村鑑三は神を呪うほど深く悲しみ、自身が持つ潔癖さと矛盾は周囲の人との衝突を何度も繰り返すことになり、少なくない人が内村鑑三を慕いつつも彼のもとを離れていくことになりました。
ただ、そうした内村の欠点や弱さは内村の思想や信仰を深めましたし、周囲との衝突は互いの思想を高め合うことにもなりました。弱さや欠点があるからこそ自分の無力さや他者の痛みを理解できたのだと思います。非戦論もまた人間の、自分の弱さを知っている内村だからこそたどり着いた主張だったのかもしれません。
内村鑑三の著書は文語体で私たちの普段読む文章とは少し違うので、読みにくいと感じることもありますが、『内村鑑三 悲しみの使徒』は原文の引用の直後に読みやすく意訳したものを添えてくれているので、すごく読みやすかったです。内村鑑三の思想や生涯を知りたいという方にとってはおすすめの一冊です。
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